沖縄のパフォーマー集団「琉球パフォーマーズコネクション」代表JJさん
16年務めた公務員を辞め、沖縄のパフォーマー集団「琉球パフォーマーズコネクション」を設立したJJさんの想いとは?
2018年6月に「株式会社 琉球パフォーマーズコネクション」として、沖縄のパフォーマーを取りまとめるエンターテイメント会社を設立した「JJ」こと「仲宗根 潤治(なかそね じゅんじ)」さん(以下:JJさん)。
会社の代表取締役でありながら、現役パフォーマーとして「フリースタイルバスケットボール」の披露や、現在ではパフォーマーとしての枠を超え、那覇OPAやオリオンビールのCMに出演するなど、タレント活動も行っています。
そんなパフォーマー人生一色に見えるJJさん、実は数年前まで公務員として働いていたのだそう。
公務員として働きながらも2007年にフリースタイルバスケットボール日本一決勝戦で優勝し、
そこからパフォーマーとして食べていく決意をしたJJさんの人生、気になりますよね?
今回は、そんなJJさんのパフォーマーになった経緯と会社設立の想い、そして気になる今後の展開についてお話を伺ってきました。
公務員時代に出会った「フリースタイルバスケットボール」
2000年に専門学校を卒業後、公務員として就職したJJさん。
JJさん「公務員として働いているときに、霞が関に出向になったんですけど、その時にパフォーマンスに出会ったんです。」
パフォーマンスを見て、元々バスケットボールプレイヤーだったJJさんは、バスケットボールをつかったオリジナルの技を作り出すことに夢中になったのだそう。
JJさん「ちょうどその頃、“魅せて勝つバスケットボール”として『ストリートボール』が上陸し、点を取らずスキルのみを見せ合う「フリースタイル」が流行ったんです。
フリースタイルは基本、ボール1つで行うものですが、当時の僕はボールを2個使って独自の技ができるようになっていて。
それを見た周囲の人に「すげぇ」って言われるのが嬉しくて。
誰の影響も受けずにつくったオリジナルの技を披露することに、快感を得るようになったんです。」
練習を重ね、今ではボール4個をつかったパフォーマンスもできるようになったというJJさん
当時は公務員という仕事を辞めるなんて思ってもいなかったのだそう。
バスケは趣味、そう割り切っていたJJさんに、ひとつめの転機が訪れました。
フリースタイルバスケットボール日本一決勝戦で優勝!日本一に。
2007年に開催された「フリースタイルバスケットボール日本一決勝戦」で優勝し、業界の日本一となったJJさん。各地の強者たちが集まり、その中で優勝したことで「プロになりたい」という気持ちが芽生えたのだそうです。
JJさん「大会で日本一になることで、色々な業界からオファーがくるようになりました。けど公務員という職業柄、副業することもできず、あまり目立ちすぎるのも公務員らしからぬ行動だと感じて、自粛していたんです。」
そんな中でも練習を重ねるたびに、プロになりたいという気持ちがどんどん強くなり、悶々とする日々が続いたのだそうです。
JJさん「“公務員だから仕方ない”“公務員だから難しい”と、公務員であることが言い訳の材料になっている自分に嫌気がさしました。毎日毎日練習しているのに、大きいオファーを貰っても応えることができない。自分が頑張って練習しているのに、自分の努力を否定しているようで、すごく嫌だなって思ったんですよ。」
そんな葛藤がありながらも、長男であるJJさんは、親の老後のことなどを考えるととても公務員を辞める決意ができなかったといいます。
そんな中、公務員としても役職が上がり、仕事量も増えたタイミングで『そろそろ決めなければ』と感じたのです。
JJさん「仕事も増えて、練習の時間も割きにくくなった時に、そろそろ公務員としての人生かパフォーマーとしての人生か、どちらか選ばなければいけないと思いました。中途半端にしたくないし、やるなら覚悟を決めてやりたいと思ったんです。」
JJさんの背中を押したのは、命の限りを知ったこと
パフォーマーとして生きたいと思う気持ちと、16年間続けた公務員を本当に辞めてしまっていいのかという気持ちに揺れ、自問自答を繰り返す日々が続いたJJさん。
なかなか踏み切ることができず、悶々と悩んでいた時、大きな決断をするきっかけとなったのは父親の死によるものでした。
JJさん「父親は癌で亡くなったんですけど、入院して3か月くらいで亡くなってしまったんです。
数か月前には目の前でご飯を食べていた人間が、たった数か月で二度と帰らない存在になったんですよ。その時僕は思いました。“こんな簡単に人って死んじゃうんだ”って。」
「俺もいつ死ぬか分からない」
「やりたいときにやりたいことをやらないと絶対に後悔する」
そう思ったJJさんは、長年勤めた公務員を辞め、パフォーマーとしての人生を選択する決意をしたのです。
JJさん「辞めると決めてからは、有休をつかって考える時間をつくりました。
どうせやるなら“楽しい”だけを追求するのではなく、自分にしかできない社会貢献につながることをしたいと思ったんです。
“自分にしかできない「社会貢献」は何だろう?”
“どう形にすればいいんだろう?”
ということを真剣に考えた結果、今の『琉球パフォーマーズコネクション(RPC)』を思いついたんです。」
「社会貢献になるパフォーマー集団」を目指して
「パフォーマーが自己満足のパフォーマンスを披露するのではなく、社会貢献ができるエンターテイメントってなんだろう?」
を追求したJJさん。
昔、世界遺産の復元に携わっていたJJさんは、観光振興に携わる中で
「沖縄には夜のエンターテイメントが足りないのでは?」
という話が出たのだそう。その時に
“なぜ沖縄にはたくさんのパフォーマーがいるのに、エンターテイメントが足りない、となるんだろう”
と疑問に感じたのだそうです。
その時の記憶から「ひとりひとりが独立してパフォーマンスをやるのではなく、社会貢献になるパフォーマンス集団をつくるのはどうだろう」と閃いたのだそう。
JJさん「そういうのを沖縄の人がやらないとダメだと思ったんです。
県外のどこかの企業が沖縄に来てパフォーマーを雇い派遣すると、沖縄のパフォーマーが安い賃金で雇われて終わるだけ。
それは僕の中で絶対に許せなかったんです。
だからパフォーマーである僕自身がやることに決めました。」
そうして2016年3月末に公務員を退職し、4月に「琉球パフォーマーズコネクション」を立ち上げました。
その後、2018年に法人化。
会費も縛りも何もない制度にし、パフォーマーに負担は一切かからない仕組みを作り出しました。
現在の活動とこれからの展望
JJさん「今は、僕が仕事を取ってきてパフォーマーを送り出したり、パフォーマー同士を掛け合わせたエンターテイメントを企業に提案したり、あとはチャリティーイベントや国際映画祭を盛り上げるためのパフォーマー応援団としての活動だったり、形にとらわれず沖縄エンターテイメントを盛り上げるための活動を行っています。」
ー今後の野望や展望を聞いてもいいですか?
JJさん「組織と個人の目標それぞれあって。
まず組織としては、今後はもっとチャリティーイベントを増やしていきたいと持っています。あとは、ショーができる場所をつくりたいです。最近国際通りにできたティーファミリーのようなイメージ。
県外・海外からくる人に向けて、ハイレベルなショーを見せることができる場所を常設したいなあと思っています。」
「個人としては4月にラスベガスでパフォーマーのコンペティションがあるので、そこで優勝したいです。やっぱりエンターテイメントの中心地はラスベガスなので、そこで実力をつけて、パフォーマーとしてもレベルアップしたいと思っています。」
やるなら一番てっぺんで認められる存在になりたい。そんな強い気持ちがあるJJさんだからこそ、とても壮大な野望を掲げることができるのだと感じました。
ー最後に、ボール回しやってみてもいいですか?(笑)
JJさん「いいですよ!」
まずはペンで。
お、重い・・・。
(これ見ているよりかなり重いし、すごい振動が来ます。)
ー次は指でやってみたいです!
JJさん「いいですよ。」
うわあぁぁぁすごい指が痛いwwwww
(1秒で終了)
これ、JJさんすごく簡単そうに回すんですけど、摩擦が凄くて指めっちゃ痛いんですよ。指なくなるんじゃないですか、と質問してみると「爪で回しています」とのこと。ただ、ネイルなどをやっている人が回すと、爪が折れてしまうのだそうです。
そんなJJさんの爽快なパフォーマンスを動画でご覧ください!
https://www.youtube.com/watch?v=9vNmrQ53dss&t=52s
動画インタビューも是非ご覧ください♪
▼琉球パフォーマーズコネクション公式サイトはこちら
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